母が新聞を読んでいて、僕の同級生に不幸があったことを知った。
同級生と言っても中学までであり、以降は会うことはなかった。
なぜか高校の時にたまたま電話してゼノギアスの話をしたような覚えがある。
そんな彼と、どんな関係だっただろうか。
小学、中学と学友であってそれ以上の関係ではなかった気がする。
ニックネームは特に特徴がないにも関わらず、マッチョだった。
あと、名前は四文字だったためか◯◯さんと、愛嬌を込めて呼んでいたし、呼ばれていた。
母が名前を言う今日まで彼の名前を忘れていた。
こんなこと言うこと自体、申し訳ないけど、年齢を重ねて、同級生の不幸が現実的に見えてきた。
若い頃、学生時代にそんな考えはなかったからだ。
いつ人はどこかで旅立ってしまうかわからないのに、だ。
嘘だろ!?とかショックを受けることがなかった。
それだけ彼の存在が僕からはなくなっていたのだと思う。
20年くらい前になるからお互いに忘れてもおかしくはないかもしれない。
だけど、今回、彼の不幸で当時のことを思い出してしまった。
人は去っても思い出に生きるのだろうか。
ワンピースだっけ?、誰からも忘れられた時が本当の命の終わりだって。
確かにあの日のことを思い出したけど、しかし、やがて、彼のことをまた忘れると思う。
学友とか旧友とかで括るわけではなく、人は忘れることでまた前に進むことができるからだ。
だから、今だけは彼との思い出を振り返ろうと思う、良い奴だったよ。
◯◯さん、いつかはそちらへ行くけど、俺はこちらでまだやることがあるようだ。
必要としてくれる人たちがいるから、今はちょっとだけで良いから頑張らせてほしい。
自分のことしか考えられないガキなのか余裕がないのかはまだわからないけど、
君の不幸のことを他人事のようにリアリティを感じたとしか思えない俺はおかしくなり始めているのかもしれない。
◯◯さん、今はさようならは言わないからな。
今だけは君のことを全力で思い出させてくれよ。